アニメの視聴者と制作者にとってアニメのEDは、初めから期待されておらず良くてオマケ扱いである。
アニメの作り手受け手共にBパートでアニメは終了という認識だ。
EDとはスタッフロールのついでに曲と絵が付いたようなものだ。
故に、体よくそれなりのものに仕上げる制作者の手抜きの技巧のオンパレードとなっている現状がある。
そもそも曲自体がOPとして選ばれなかったものが充てがわれるので、作り手としてそれに作画を乗せることに意欲が湧かないのも無理もない。
期待もされずおそらく制作に関する責任も軽いということは、反面チャンスとも言える。
本編の予習復習の意味合いが強いOPとは違って、EDはそんな従来のしきたりに従う必要がないので、
制作者のアイディア次第で相当個性的なものが作れるはずだ。
EDまで力を入れている作品は、制作スタッフの士気が高く作品そのものも面白かった経験が多い。
EDに独立した価値を認める、全てはそこから始まるのだ。
筆者が素晴らしいと思った最近のEDを挙げておこう。
一つ目はセントールの悩みである。
本編では触れられなかった委員長の翼人としての高貴さを全面的に打ち出している。
優等生的なお固い性格ではなく少女としての儚さも併せて表現されていて、
あまりの素晴らしい出来に本当はこちらがOPでレコード会社の意向で不本意にもEDに回されてしまったのではないか、という憶測もしてしまったくらいだ。
違った観点から本編では見えないキャラの本質を覗かせ魅力的に描くこのEDは中々に心憎い。
二つ目は、現在放送中のダーリン・イン・ザ・フランキスだ。
登場キャラを現代日本の女子高生に見立ててミュージッククリップ風に仕立ててある。
主題歌の題名である鳥籠の中の鳥であることの閉塞感が謳われている。
冒頭の歩道橋に乗り出したイチゴの姿で明らかになるが、ロボット操縦時の女性の姿勢は鳥を模したものだったのだ。男性オタク好みのただの後背位ではないのである。
それは、飛翔と墜落の可能性の前に立つ年頃の少女の期待と不安を感じさせる。
ゼロツーのカバンのアクセサリーのデザインにもなっていて、鳥はこの作品の重大なモチーフだと強く印象付けている。
敢えてEDで本編の補完をされるとオタクとしては喜ばざるを得ない。