ライトノベル編集者は何のために存在しているのか?

ネットで共有されているライトノベル編集者の一般的な印象と言えば、

「レーベルの新人賞出身の作家を育てず使い捨て、小説家になろうからPVの多い作家を引っ張ってきて

レーベルの看板にまで据えてひと仕事したつもりになっている自ら才能を発掘できない無能集団」であろう。

文字にすると悪態に見えてしまうが、それは我々が編集者という職業に抱いている過剰な期待の裏返しかもしれない。

 

編集という言葉には既存のものを組み合わせて新たなものを生む意味がある。

なので既にPVを稼ぎ人気を確立してしまった作家を連れて来ても言葉の意味からして問題ないのである。

傍から見てクリエイティブな仕事としてはビジネスライク過ぎて心配になるが、その仕事ぶりは効率的なのだ。

 

思えば編集者の仕事は多岐にわたる。漫画の編集者を思い浮かべると分かるが、

新人発掘、作家の管理、企画、宣伝、読者対応etcと超人のような能力が求められる幅の広さだ。

ライトノベル編集者の仕事は、普通の人間でも務まるものにシュリンクしたと言えなくもない。

 

紙とは記録するための発明品だが、書物としてネット小説が転載されることで

今ではライトノベル編集者の生活の糧になっているのかもしれない。

しかしこれからネット小説が単体で利益を産みライトノベルを介することなくアニメ化される道筋が出来たなら

ライトノベル編集者はこれからどうなってしまうのだろう?

 

 

仮定の話として、才能あるライトノベル小説家志望者が既存のレーベルの新人賞に応募せずに

ネット小説に集結しているのならばラノベ編集者はネット小説から人材を引っ張ってこざるを得ず同情する余地はある。

それは証明は出来ないが、志望者の立場を想像すると

作品の判断を少数の編集者に委ね出版してもすぐに打ち切られるより、

多くの読者の目に触れ永遠に残るネット小説に活路を見出すのは当然だ。

 

長々と考察してきたものの、ライトノベルを挟んで両端にある小説や漫画はきちんと新人賞出身の作家を育てているのである。

それを考えると、応募段階では文字だけで構成されターゲットが若者であるライトノベルの質を編集者が見抜けないだけのような気もしないでもない。