モザイクでオタクに現実を突き付けた矢野妃菜喜さんへの公開説教

声優にはプライベートの公開を決める自由がある。

その範囲や程度を決める自由もある。

我々声優オタクはあくまで彼等からお裾分けをしてもらっている立場だ。

ファンのために善意でしてくれていることに文句を言うのは許されないことだろう。

しかし筆者は今回の記事でその禁を犯す。

 


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矢野さんがSNSに上げたこのモザイクがかけられたバッグの写真は、もう半年近く前のものだが

定期的にまとめサイトで取り上げられている。

何度も擦りたくなるような、そして普段声優を扱っていないようなサイトでも取り上げられるくらい

広く人の目を引く話題性がこの一枚にはある。

声優オタクから見れば矢野さんの性格の意外性に驚くだけなのだが、

一般人には奇行に見えてしまった可能性がある。

 

彼女の行動に対して肯定する意見はなく、あったとしてもそうせざるを得ない環境に身を置いていることへの同情くらいである。

あとは否定的な意見が多く、堂々とした姿勢でいられなかった矢野さんに手厳しいものばかりである。

前置きしておくが、相方の田中ちえ美さんがモザイクをかけようと提案した可能性も考慮する必要がある。

田中さんのSNSを覗いてみたが、別の声優とではあるがバッグは映されているものの

隠そうとしたい雰囲気を感じられて大変あやしい印象がある。

しかし、田中さんの提案に乗ったとしても自身のSNSに上げたことで最終的な責任は矢野さんにある。

 

バッグを特定されてその価格で他人から揶揄されたくない気持ちは分かる。

SNSでの発信まで注意を払わないといけない気苦労にこちらが申し訳なくなるくらいだ。

ただ、声優オタクからの評判を気にして批判を恐れるあまり迎合してしまうのは良くない。

恨み妬む者が勢力を得ていたのは一昔前のネットの時代であり、今は責められるのは彼らであり

その変化した潮目を読めなかった矢野さんの価値観は古いと言わざるを得ない。

 

声優オタクが声優に望むことはあるだろう。

しかし願いが叶って声優が自分の操り人形になることを望む声優オタクなどいる訳がない。

一般アニメへの進出が進んでる今だからこそネットに反応しない練習を積んで欲しい。

ファンとの関係は忘れずに、でも自分は貫くべきだ。

 

そして、彼女の善意の配慮が逆にファンに経済格差を意識させかねない危険性も別に指摘したい。

芸能界にあっては自分で稼いだ収入への疾しさを僅かでもファンに見せるべきではない。

現実から離れた世界で現実を見せ付けられると興醒めしてしまうからだ。

隠さないことで真なるものを隠し通し、寝た子を起こさないことだ。

 

矢野さんには3つの選択肢がある。

・写真に上げる私物にモザイクをかけない

・写真に私物を映さない、プライベートの写真を上げない

・私物にモザイクをかけた写真を上げ続ける

 

願わくば彼女には最良の選択をしてほしい。

令和の美人アニメーターポイント2倍さんの魅力

かつて2010年代半ばに美人アニメーターのブームが起こった。

矢野茜さん、まじろさん、米山舞さんとルックスも申し分ない逸材も揃って、

遂には女性アニメーターにもアイドル化の波が来たかと思われた。

しかしそのようなことは無くブームは一過性で終わってしまった。

女性アニメーターが顔出しをしても女性声優と同じように活動の幅が拡がる訳もなく、

またアニメーターは完全にルックスとは無縁の実力主義の世界なので

ルックスをアピールすることが逆にデメリットになりかねない危険性もあって

後に続く者はいなかった。

 

美人アニメーターの系譜が完全に途絶えたと思われた令和の時代。

とある美人アニメーターがオタクから密かに人気を集めている。

それが今回紹介するポイント2倍さんである。
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美人アニメーターと呼ぶに相応しい美貌なのはもちろんだが、

それ以上に特異な内面が注目されている。

異常に強い自己顕示欲と承認欲求、そして度々自虐的になるメンヘラ気質。

前のブームになった女性アニメーターとは明らかに一線を画しているのである。

前にSNSのアカウントが凍結された際は強い禁断症状を見せていて、

彼女の自己顕示欲はここまで強いものかと思わされた。

少し前に彼女のSNS上で設けた質問箱も脅迫事件があって撤廃されたのだが、

ファンを弄び自分を誇示する場が無くなることに耐えられなかった彼女は時を待たず復活させた。

基本低目の自己評価なのだが他人からそう思われたくないらしく、

ファンからのネガティブな指摘には尽く反論している。

自分を馬鹿にしていいのはあくまで自分だけと言うことだ。

 

自分が目指し、また周囲から求められるものに実力が足りないと感じた時に

気分が荒れてメンヘラっぽい投稿が増えるのだが、

それらを分析すると精神的な疾患と言える程のメンヘラではないことが分かる。

彼女には投稿を削除する癖があって、その削除されるまでの期間によって2つに分類出来る。

1つ目の10分も待たず異常に早い時間で削除されるような投稿は、

自分の本心を出しすぎたり他人を傷付けかねない内容が多い。

メンヘラと言っても自分に溺れて周囲が見えないレベルの症状ではない。

自分だけではなく他人にも繊細になれる余地はあるのである。

2つ目の投稿を削除するのに一定の期間を設ける習慣は、

自己顕示と痕跡を消し去りたい衝動が相ぶつかり合う矛盾を表している。

その振る舞いから、重ねて言うが人間の感情や認識は残っているのである。

だからメンヘラと言っても"メンヘラ芸"として演じているようなところもあるのである。

業界ではその性格を面白がられて作品の制作に呼ばれたり、

逆に参加させて貰えないこともあるらしい。

 

それとは別に、男性ファンにとって一番気になるのが相方の存在だろう。

しかし彼女は常々それは匂わせていて、既にファンは覚悟を決めている。

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薬指に指輪をしていて、正式な報告はないが結婚をしていてもおかしくはない。

とはいえ普段から自分が男性であるような投稿していて、そのこと自体嘘なので

結婚していることも間違いであって欲しいと願う一部のファンは一縷の望みに期待を託しているのである、

メンヘラ的な振る舞いにしても相方の存在にしても

彼女には本当なのか疑わしいことがまとわりついていて、

その虚々実々を楽しめるのが本当のファンと言えるのかもしれない。

 

アニメーターとしてはアイドル的な側面が過度に注目されていて、

その理由として現行で関わっている作品の絵を上げてくれないことが挙げられる。

彼女は自尊心があって自信が持てるまで上げないと宣言をしてしまっているので

他のアニメーターのように参加作品を込みで彼女を楽しむことが出来ない現状だ。

若いのに作画監督としての経歴も積んでいて同業者からの評価も高い彼女なのだが、

これからその実績に見合う自信を持って絵を上げてくれるようになれば、

容姿と実力の両輪で本当の"美人アニメーター"としてファンも応援出来るのだろう。

立花日菜さんのスロースタートな門出の日

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先日、レコード会社から声優アーティストデビューが決まった立花日菜さんのお披露目生放送が行われた。

https://youtube.com/watch?v=SOiwW4fiZoU

 

冒頭の彼女の言葉は、この番組の方向性だけを心配したものではない。

将来のアーティスト像やファンとの関係性を示唆するものでもある。

観てる皆さん的に、いつもの私の番組とかラジオとかの雰囲気のまんまやってるんですけど、どうなんだろ?

これまで長きにわたって晒してきたネガティブな内面と、

本来華やかに飾られるべきアーティストの外面のギャップを依然残したまま

彼女はデビューを迎えようとしているのである。

ギャップが埋められるのはこれからということだ。

 

そしてそれは彼女の自覚だけの問題ではない。

ビックリなんですけど、昔から私の事を知ってくれてるよって方は

もっとビックリなんじゃないかなって個人的に凄い思います。

他のコンテンツとかでお話し会とか皆さんとお喋りする機会があった時に、

「やりそうに思わなったから、何で?」みたいなことを言ってくれてる方が何人かいて、

私の事をよく知ってる方はそういう風に思ってくれてるのはよく知ってくれてるな、と。

ファンの認識も同様で、アーティストデビューに当たって両者ともに戸惑いと困惑がある。

先導するアーティストにファンが憧れて付いていくような従来の構図は当てはまりそうにない現状だ。

これまでファンはキャラクターの演技を通じて自分を表現する立花さんを応援していて、

キャラクターの裏側に控えて発信する彼女のパーソナリティに魅力を感じていたのである。

まさか彼女が前面に出てコンテンツ化して売り出そうとする試みに乗ろうとは誰も予測出来なかった。

 

上手くいかない人生で積み上がった負の遺産に悩み克服しようとする彼女の姿に、ファンは共感してきた。

しかし両者の在り方はこのままではマニアックすぎて、より広い商業的な要請に応えられるものではない。

何より彼女の内面は刺々しさがあって新しく彼女を知る者の反発も招きかねないものだった。

つまり立花日菜は、分かる人には分かるといったコアなファンが付いている声優なのである。

その声優をアーティストデビューさせるとは無謀にも程があるが、最近の彼女を見ると納得させられる理由も無いわけではない。

それは彼女が語る他人や社会との融和していく過程であり、それに伴うファン層の拡がりの予感である。

つまり彼女とファンの関係は商業的にペイ出来ると判断されたのだろう。

ファン以上に彼女をよく知り蜜に接しているであろうレコード会社のスタッフだからこその目論見もあったはずだ。

 

少し話は逸れるが、これまで作品で縁があったレコード会社のスタッフに促され、

そして事務所にも期限を区切られたデビューへの回答を求められて

ようやく発揮されるような立花さんの弱々しい積極性に懐かしさを覚えたファンもいただろう。

コアなファンの付き方も含めて、彼女が一般アニメで初メインキャラを務めた『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の市井舞菜を想像させたからだ。

この物語とキャラクターが存在し、その作品に出演が決定し、更にメインキャラに抜擢され、

そのキャラクターと同じ未来を歩む。

後に必然だと言われる類の奇跡が立花さんに起きているようにしか筆者には思えなかった。

 

声優アーティストというだけあって、これからの立花さんは表面的には優美に飾られていくのだろう。

しかし内面の軌跡には、かつては強く抱いていた疎外感を解消しように泥臭く歩む彼女の姿が見えるはずだ。

商業的な利益を考えたデビューではあるが、彼女とファンの間で大事にされるのは

きっと数字で測ることが出来ないものだ。

今回のデビューが先行き不透明な出だしなのは否定できない。

しかしだからこそ虚飾のない着実な彼女の歩みを我々は見守ることが出来る。

その先にはどんな声優も真似できないサーモンピンクにも似た彼女の個性が輝きを放っているに違いない。

声質と幻想

ブログを振り返って見ると最近は声優の記事が多い。

しかも演技を評するものは皆無で、内面を探ろうとするものばかりである。

我ながら声優への迫り方として邪道な気がしないでもない。

 

声優であるから彼らの内面に関心を抱いている、というのは間違いではないが正確ではない。

彼らの生き様や性格が演技に反映されると信じているから関心を抱くのである。

演者の内面が演技に関係するものがあるとすれば、

キャラクターへの共感や場面状況の認識、そして音響監督の指示の理解くらいだろう。

それらを除いて仮に誰かが、演技は発声に関する器質的な問題で

訓練でそれを上達させていくだけのものに過ぎないと意見を表明したとすると筆者は困ってしまう。

反論したいがこちらは証明が出来ないからである。

だからと言って簡単に引き下がるつもりはない。

 

声質なる言葉は、我々声優オタクでも先天的に持って生まれたものという意味で使いがちだ。

しかし筆者は後天的にも声質は形成されると考えている。

アニメ化前の原作漫画や小説で作中人物のキャラクターボイスを妄想する時、候補の声優が思い浮かぶが

ただ声だけではなく声優の内面も込みで的確に連想しているのだ。

あるいは、全く知らない新人声優が抜擢されたとしても

ラジオや動画番組で明らかになっていく演者の精神遍歴に裏付けられたものだと納得させられることもある。

そのような不思議な体験の数を重ねて声優オタクに確固とした信念が築かれていく。

声と精神の間に繋がりを見ることは幻想かもしれない。

しかし筆者はそれを確信しているのだ。

今年の執筆予定

佐伯伊織さん

現時点での筆者の最推し声優。

最近は徐々にアニメ出演も増えてきたが彼女の真価は隠されたままである。

『処刑少女の生きる道』を基にそのポテンシャルを探っていく。

 

山田美鈴さん

『七つの魔剣が支配する』の演技を見て将来のブレイクを確信した。

母性のような包容力と少女の繊細さを併せ持った演技力が素晴らしかった。

「命」をキーワードに彼女を読み解く。

 

羊宮妃那さん

彼女に対して筆者はアンチ的なスタンスを崩してはいない。

まだ人に隠している内面がありそうで、これからの言動でそれを察知したらその都度記事にしていきたい。

 

富田美憂さん

偉そうに見えるのには理由がある。

彼女が作品としての『富田美憂』を作ってきた歴史を振り返る。

 

雨宮天さん

今の彼女に繋がる黒歴史を題材にして内面を描きたい。

人は結局本当の自分に立ち返るしかないようだ。

 

鈴原希実さん

凡人だから発揮出来る魅力を、シンデレラの文脈で語ることになるだろう。

振り返って見えるのが彼女にとってシンデレラへの道になるはずだ。

 

とある科学の一方通行

組織の正義と個人の悪。

その対立を軸にアクセラレータの悪党の流儀を取り上げる。

 

ようこそ実力至上主義の教室へ

主人公の綾小路清隆の性格を分析したくて仕方がない。

どうにかして彼に人間らしさを見出したい。

 

『ランウェイで笑って』

久しぶりに大人のアニメを観た。

主人公は少年少女で、演出も少年漫画風なのだが、

困難を乗り越える過程は大人への成長そのもので、その挑戦に立ち塞がる者も厳しい社会を生きる大人だ。

現実に即しながら魅力を失わないストーリーで2020年ベストアニメはこの作品だと思っている。

 

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか

4期も続いているのに劣化しておらず制作関係者の志の高さと情熱に敬意を払わずにはいられない。

3期ではベル・クラネルをめぐるハーレムの特殊性を、4期ではダンジョンに挑む冒険者の理想と到達点の関係性を描く。

 

『ぼっち・ざ・ろっく』

作品のタイトルの意味を考察。

この作品は意外と論理的に構成されていて、ぼっちの失敗は笑えるように見えて実は成功の糧でもある。

 

無職転生Ⅱ』

転生者としてのルーデウスが築くハーレムの意味を問う。

一期一会の恋愛は尊いものだと信じたい。

青の鮮烈

筆者は呪術廻戦に関心が持てずこれまで原作やアニメに触れてこなかったが、

懐玉・玉折編には惹かれて飽かず何度も視聴している。

しかし筆者には疑問に思ったことがある。

 

最終話で夏油との過去の追憶に耽る五条悟の姿と、

その過去の青春は「甘い追想の色にも、苦い後悔の色にも映る」ものだとする主題歌を担当したキタニタツヤのコメント。

五条と夏油はもし再会したら殺し合いが避けられない運命で、

破局の経緯を考えると二人の関係修復は不可能だ。

だとしたら過去に目を背けて記憶を封印する処し方もあったはずだ。

しかしそうはならず五条は夏油との過去を慈しむように反芻している。

ここではOP曲『青のすみか』の歌詞を援用しながらその理由を探っていく。

 

筆者は最初、アニオリ回の懐玉-壱-の帳の話の存在意義がよく分からなかった。

繰り返し観るうちに結界の内と外をめぐる戦略に繋がる話で、

伏黒甚爾が五条に勝利を得る伏線になっていることが分かった。

更に観ていくと、術師とその影響を秘匿する帳の考え方が夏油の闇落ちを示唆していることが分かった。

一般人である非術師と術師の境界に拘ることをせず帳を疑問視した五条は、

非術師の保護を名目に両者を峻別する思想の夏油に"僕と違うきみの匂い"を感じ始めたはずだ。

元より自分を語りたがらない夏油の性格もあって、"きみという沈黙"である彼の本心を五条が掴めなくなる始まりだ。

 

それとは別に、夏油が術師としての強者の自信を失う未来を予言するような五条の言葉もある。

他人を守る為の力、それに理由と責任が乗せられれば尚更、弱者の思想だと五条は言うのだ。

"四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない"、最強の二人だと互いに認め合い常人には届かない遥か先の地平線を望んだ二人だが、

術師の立場と役割を疑うことになる夏油は、最強を目指す一人にすぎなかったことを悟り次第に堕ちていくのだ。

 

非術師と術師を峻別する考え方は夏油のミスを誘うことになる。

まずは非術師である天内のメイドの価値を見誤り、彼女を人質に取られ彼は後悔する。

そして高専結界内に戻ったことで五条とともに油断し、伏黒甚爾の侵入を許す大失態も犯す。

いずれも非術師と術師も同じ人間と見れば防ぐことも出来たはずの失敗だ。

極め付けは非術師の為に呪霊と戦う中で後輩を失ったことで、夏油の精神は激しく動揺をきたす。

同じ立場の者を守ると考えるのならば、悪堕ちしない確固とした使命への覚悟もあったはずだが、

犠牲を払う虚しさに非術師を排斥する思考にショートカットしてしまった。

 

それまで頑なに術師としての役割と責任を守ってきた夏油だが、

彼にも人間らしさも残されていて、それを他人に認めようとしたシーンがある。

天元依代となる天内に同化の役割の放棄を勧めた場面だ。

逸脱を他人に認めたことはやがて彼に術師としての建前を捨てさせた。

後輩の「自分に出来ることを精一杯頑張るのは気持ちが良い」という言葉も、

夏油に醜悪な本心に従うことを肯定させた。

「自分らしさ」が悪の道への導きとなったのだ。

 

五条と夏油は互いの未来を交換しかねない危うい交錯の瞬間があった。

天内の遺体を取り戻した五条が教団施設で夏油と再会した時だ。

信者の皆殺しを提案した五条は、その時は夏油の運命を辿る可能性もあった。

この時点では辛うじて術師の立場を堅守して信者の保護を図った夏油の方が正義だった。

しかし精神が崩れかかった夏油が術師としての正論の拠り所を外部に得ていたのはこれが最後で、

以降は自身に求めることになったのだ。

 

以上のように本心に従い自分らしく生きることを決意した夏油だが、五条もその彼の影響を受けている。

伏黒恵を仲間に誘う動機やその勧誘の際の「強くなってよ、"僕"に置いていかれないくらい」のセリフもそれだ。

超然として自分一人だけが最強だった後悔が反映されている。

 

破局は苦く痛みもある。

しかしその過去を経て互いの自分がいる。

敵同士になっても理解しあえる相手がいる。

そこには人が出会うことへの讃美がある。

"また会えるよね"と別々の運命を歩む二人は再会を願わずにはいられない。

"今でも青が棲んでいる 今でも青は澄んでいる"、過ごした青春の青色は時間を超えて今も鮮烈なのだ。

 

TVアニメ『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」OPテーマ:キタニタツヤ「青のすみか」
https://youtube.com/watch?v=gcgKUcJKxIs

山根綺さんは「圧倒的」を諦められない話

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騒動があった翌日の10月25日深夜、山根綺さんはインスタグラムでライブ配信をした。

終始涙声で今回の件を釈明しており、この配信は内容的に前半と後半に分かれている。

 

深夜の大号泣ライブまとめ(前半)

・世間的に大炎上をしている認識は無いが、友達やファンに申し訳無く思っている

・周りから気にしないように言われたが、気にしない方法が分からない

・もし彼氏が出来たら言わないし、匂わせもしない

・私に彼氏がいる前提のネットの書き込みが傷付いた。発言の動機が私への配慮やファンの自己防衛のものだとしても。

・当面の間はSNSは告知に止めて、ファンクラブのアプリ内で発信する

・毎日真面目に生きてるのにシェアハウスや友達のことを色々言われて悲しかった

・泣き虫なんだけど、すぐ泣く癖を直したい

SNSに向いてないイメージを持たれたくない

・どうしても今回の件のまとめサイトを見てしまう

・これまで色んな場所で自分を曝け出してたと思ってたのに伝わってなかった

・20代後半の女性が深夜に泣きながら喋っているのはヤバいという自覚はある

・私の言った言葉以外を信じないで欲しい。みんなの中に「存在しない記憶」がありすぎる

 

本音を言わせてもらうと、聴いててくだらないと思った。

友人の男性が映っていた写真を上げたことが彼女の過ちであるはずもなく騒動の原因が全て誤解したファンに帰すものなので、

それを本人が深刻ぶって悩んで語っていてもこちらに響くものが無いのである。

彼女を見誤り関心を持ってこのブログで取り上げたことを後悔した。

仮にこれ以上彼女に関心を持つとしても、それは声優ではなく

ただの個人の山根綺に対してということになってしまう。

筆者はここで彼女への関心を一切断つ決意をしようとした。

この調子のまま配信を終えたら間違いなく筆者はその選択をしただろう。

 

しかし彼女は負けず嫌いで他人を超越したい意思を過去に示していたはすだ。

ほんとのところ|山根綺のほんとのところ。#19
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1676688963

この二十数年間ずっと、

自分を肯定できる圧倒的な「何か」が欲しかった。

凡人の中から飛び出したい、

特別な何者かになれば自分を好きになれる。

生きている理由さえあれば幸せになれるのだと

そう思ってきました。

でも、本当は違いました。

「幸せ」はきっと、今の自分を認めてあげるところから始まるのです。

この告白は正しくもあり、誤魔化しもある。

述べられているのは、自身の心の平穏と他人との調和を求めて

自己肥大したイメージを等身大に収めようとしたことだけである。

そして等身大そのものの自分を大きくしようとする野心は伏せられている。

その隠された野心はライブ配信の後半で彼女の言葉によって証明される。

 

語るうちに悲しさより悔しさが勝ってきたようで、山根さんの言葉は強気の調子を帯びる。

結果で見せるわ私は。どういう風な言われた方されようと。

結果を舞台の上で見せるしか無いよね。自分の頑張りを結果で示すしかないから。

気持ちを強く持つといった自身で完結するような解決ではなく、

周りが納得せざるを得ない明らかな結果を残すことを彼女は誓ったのである。

そして、自分を弄んだ相手への反撃も忘れない。

そういうのを言ってもいい相手と思っていることでしょ?そういうネタにする人とか私のことを。ムカつく。

ネタにし辛いくらいの人間になってやるんだから!

私をネタにした人達をボコボコにします。

もう隠しようがない程の負けん気と傲慢さだ。

敵を前に据えて打ちのめすという次元ではない。

初めから相手が立ち向かうことを諦める程の圧倒的なオーラを欲しているのだ。

誰が何と言おうがこれが彼女の偽らざる本性だ。

そんな弱くても意地を張り続ける山根綺でいてくれるのなら、これからも信じて応援しようと思ったのである。

アイドル声優とファンの間

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山根綺さんがSNSに上げた遊園地の写真に男性がいることをファンが指摘し、

そのことに対して彼女は謝罪したのだが結局炎上してしまった。

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その謝罪には怯えと動揺、そしてその裏に隠されているかもしれない悲しみや失望が感じ取られ、

普段格好良く振る舞おうとしているのとは違った素の山根綺を見るようだった。

 

ファンなら周知の事実なのだが、昔実家を出た山根さんは武者修行のために

一人暮らしではなく敢えてシェアハウスに住むことを選んでいて

連れの男性はその時に出来た友人なのである。

 

今回亀裂が入りかけたファンとの関係に山根さんがどう対応するのかは大変関心がある。

ただ何か全く新しい対応が求められているのかというとそうわけではなく、

シェアハウス時代を含めて彼女がこれまで過ごした時間と経験の中に、実は既に答えの下地がある。

 

自分に正直に生きたい|山根綺のほんとのところ。#13
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1668766098&p=2

懐かしきリトル山根はね、

知らない方が良いことなんてひとつも無い!

と思っていました。

でも案外、知らないままでいた方が幸せなことは

たくさんあるみたい。

人のこと、周りのことを全て知っておきたくて

身の回りに自分の知らないことが起こっているのが怖くて。

その結果、

いろんな人をたくさん傷付けて

わたし自身もたくさん傷付いて、

気付いたら、人間関係リセット癖がついていました。

過干渉の末、自他共に傷付けていたと述懐する彼女は、社会に出て人と交流していく中で対人関係の距離を学んだというのだ。

綺麗なものは遠くにあるから綺麗、と言うように

家族や友達、恋人、どんな関係の相手でも

人と関わるのには、ある程度の距離が必要で、

誰かを、何かを全て知らなくても十分幸せに生きていける。

そして、それがベストなのです。

親しき中にも礼儀ありっていう言葉を作った人は天才だな…。

 

時は経ち、アイドル声優として一定の人気を獲得した彼女は

逆にファンから干渉を受ける立場になってしまった。

つまり昔と違って今度は相手に距離を取らせる配慮が求められているのだ。

例え友人であっても、金を払ってイベントやコンサートに行かないと会えないファンからすれば、

山根さんに親しい男性がいる事実が許せない心情になるのも理解できなくもない。

そんな彼らに対し彼女は綺麗な嘘をつけず、ありのままの交友関係を晒しファンとの距離を見誤ってしまった。

異性の影を感じさせないアイドル声優の夢と幻想を保たせるには、

自身をファンから遠くに置く必要があったのだ。

 

今回の件では甘かったリスク管理

ただその観点だけで今後のファンとの関係を考えるならば過ってしまうだろう。

それは安心と引き換えに、ファンとの間の溝や壁になるに違いない。

そこで彼女が過去に見つけたものが活かされるはずだ。

人との間にある余白を愛せたら

もっとコミュニケーションが楽しくなるような気がする

余白と言うのはそれを挟む両者が侵そうとすれば侵せるものだが、

互いの節度と尊重でもって平和と秩序が保たれている空間なのである。

今回の件は山根さんにとって、距離を置いても親しまれるようなファンとの関係を考える契機になるはずだ。

彼女とファンが共に望む余白作りを見守っていきたい。

羊宮妃那さんの裏の顔は蜜の味

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羊宮妃那さんに関しては、筆者は初めて知った時から警戒していた。

彼女は嘘で構成されている、と直観は告げた。

光を失った目という容姿から始まり、とにかく自己防衛的である精神性に至るまで

彼女のあらゆるものを訝しんだ。

以前、筆者には彼女の記事を書く構想もあったのだが、

全文侮辱塗れになりそうだったので流石にお蔵入りにした。

決定打となる証拠がなく彼女の本当と嘘の間を埋められずモヤモヤしていたのだが、

最近ネットに投下された一つの動画が筆者の直観の正しさを証明してくれたようである。

 

https://streamable.com/4u4f47

https://web.archive.org/web/20230924000739/https://streamable.com/4u4f47

 

彼女がマイナーな配信者だったこの4分弱の動画には、現在の彼女の印象を裏切るものが詰め込まれている。

動画内で陽キャと見紛う彼女は悪ノリもするし視聴者に積極的に絡んで煽ることさえもしている。

今の控え目でおっとりして男性ファンの庇護欲をくすぐる羊宮妃那は完全に虚像なのだ。

 

なぜ昔と今でこんなに違うのか考えると2つの可能性が挙げられる。

1つ目は、何らかのトラウマを抱える出来事がありそれで自分を抑えざるを得なかった可能性。

2つ目は、男性オタクに取り入るために選択したセルフプロデュースの可能性。

筆者は後者の可能性が大だと思っているが、だとしたら彼女は中々に食わせ者で

今まで隠し果せたことに感心もするが、今回それがバレて信用とファンを失いかねない状況にあるのだ。

声優オタクというのは、声優が自身まで演技してファンを騙すような行いに対しては厳しいのである。

 

この動画は今は極一部で共有されているだけだが、インパクトが大きく彼女の本性が分かるものなので

いずれは広く拡散され、彼女もこの動画の存在と変化してしまったファンの実態を知ることになるだろう。

人の不幸は蜜の味と言うが、裏の顔を知られた彼女とファンの関係性のいくつにも分岐する展開を考えると今後に興味が尽きない。

 

何も無かったように彼女が消極的な性格を演じ続けファンも複雑な気持ちで見守るのも面白いし、

ギャップを埋めようと彼女がキャラ変して新たな印象にファンが驚く構図もまた面白い。

前者だと彼女はただのピエロになってしまい長く耐えられないように思えるが、

最近の声優のスキャンダルを見ると無理を押し通してそれで良しとする流れもあるので、

彼女が永続的なピエロを演じ続ける可能性も無くも無い。

後者だと彼女が自身で殻を打ち破るのは難しいので

周囲の「いじり」で彼女の本性を再び開花させることになるのではないだろうか。

下手ないじりは精神的な傷を負わせるので慎重に行うべきだが、

筆者としては思いっきり彼女の殻は砕かれれば良いと思っている。

 

業界関係者はよく見ているもので、羊宮さんは癖があってあやしい雰囲気のキャラクターにキャスティングされることが割と多い。

それは彼女の見せかけの清楚なイメージに反しているが、ここに来てようやく偽らない自分とマッチングするチャンスが到来しているのである。

相反するものの解消こそが彼女にとっては課題なのだが、ファンにとっては新たな魅力に惹き込まれる過程に違いない。

女性声優とほくろ

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女性声優のほくろは男性ファンを唆らずにはいられない。

彼女たちに我慢を強いる顔のほくろは嗜虐心の満足と寛容さの恩恵をもたらし、

他の部位のほくろは彼女たちの自覚無き羞恥心を堪能させてくれる。

点が地の魅力を引き出す不思議な作用を見ていきたい。

 

女性声優が自身の顔のほくろをチャームポイントだと肯定的に表明しても

内心もその通りだとは限らない。

もし顔を自分で一からクリエイト出来るとしたら、ほくろみたいな異物は絶対に配置したりはしないだろう。

そして日によって化粧でほくろを隠していることから、ほくろを全肯定しているわけではないことが分かる。

そこで自然がもたらすほくろとの同居に彼女たちは妥協するのだが、

ファンとしては彼女たちが完璧ではないことに安堵するのである。

同時に不完全であることを受け入れざるを得ない彼女たちに嗜虐心と分かち難い親近感も湧く。

 

現代ではほくろは手術によって除去出来るのだが、彼女たちは敢えてそうせずに残してくれている。

不快なものをすぐさま排除しないことは異性としては

その寛容さに安堵させられるのである。

排他的すぎる声優に人気が出るわけがない。

以上が、ほくろの存在とその背景である女性声優の意識の点と地の関係である。

 

顔以外の部位とほくろの相互作用は、視覚的に捉えることが出来る。f:id:nizinokakari:20230804223043j:image
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それは、彼女たちが開放的なファッションをする時に明らかになる。

ほくろの存在が、胸元や太腿など普段見えない場所がそれまで隠されていた事と

今ここに露わになった事の両方を強調するのである。

秘所を引き立てるほくろは扇情的で、これもまた点が地を引き立てる関係なのである。