アイドルの人気は外見の美しさだけではなく、内面の魅力からも生まれる。
今回の記事は、アイドルアニメーターとして絶大な人気を誇る矢野茜さんの精神性に迫る試みである。
参考にしたソースはこちらである。
25歳にして総作画監督! 注目の女性アニメーター・矢野茜が“アニメのおしごと!”を志した理由
http://wpb.shueisha.co.jp/2018/02/20/100044/
ルックスも話題の女性アニメーター・矢野茜は完全実力派!「贔屓されてやっていると思われたくない」
http://wpb.shueisha.co.jp/2018/02/21/100060/
まずは自身の容姿を聞かれた時の様子だ。
―ところで、WEB上では美人アニメータ―として話題になっていますよね。
矢野 その話は、やめましょうっっ!!
―なんでですか(笑)。ネットで話題を目にするのですが…。
矢野 いやもう、そういうものは見ないようにしています!
実はこれはあまり上手い対応とは言えない。
本心では美人であることを否定しておらず、その自覚があることがバレてしまうような反応である。
言葉とは裏腹にルックスを自覚的に武器として用いているのは、彼女がSNSで機会を見つけては自撮りを上げていることから明らかだ。
その自己顕示欲が野心から来るものか、それとも別のものに由来するのかは
彼女が語る過去のエピソードが参考になる。
ウェイトレス時代の挫折があったので「絵を描くことで生活できるなんて、なんて幸せなんだ!」って気持ちしかないのかな。
しかもそのウェイトレス時代がトラウマになるほどに壮絶なものだったらしいのである。
イタリアンレストランのウェイトレスです。ですが、それまでアルバイトの経験もなく社会に出てしまったので、自分の仕事のできなさにびっくりしてしまって…。
注文を取ることもできなくて2ヵ月で辞めてしまったんです。
本当に毎日「辞めたい辞めたい」って泣いていた
以前別の動画番組で語っていたが、学生時代はあまり目立たず同級生の男子からも無碍に扱われていたらしい。
同級生にとっては絵を描くというオタク趣味は、どんなに上手くても「お絵かき」程度の認識でしかなかったようだ。
以上のことからアニメーターとして成功し注目を浴びている現在の彼女の自己顕示は、過去のコンプレックスに由来しているように思える。
自分を「見せたい」より「見てもらいたい」というのが適切かもしれない。
挫折はその期間の短さに関係なく心に深い傷を残し、そして挫折からアニメーターになることに向けてすぐに気持ちを切り替えられたわけではないだろう。
他人には窺い知ることが出来ない、今に影響しているであろう彼女の人生にかかる暗い翳である。
少し遠回りをしてアニメーターを目指して専門学校に入学することになった彼女だが、
やはり注目すべきは声優タレント科を併学し声優も目指していたことだろう。
彼女の専門学校時代は現在まで続く声優ブームの只中で、裏方であった声優がスターとして羽ばたいていた時期だ。
共にアニメ制作に関わる者として表舞台に立つことへの心理的な抵抗を減らした可能性はある。
進路変更はしたものの目指していた声優。
そして現在まで習い続けているクラシックバレエ。
彼女の自己表現の手段をアニメーターだけと捉えてしまうと、彼女のパーソナリティを見誤ることになるだろう。
大きな割合を占めてはいるがアニメーターでいることはあくまで一部分であり、自分を表現するチャンネルは複数あるのだ。
アニメーターより存在の大きい「自分」を中心に考えれば、従来のアニメーターの黒子に徹する縛りを破ることも出来るのである。
アニメーターというのは動画や作画監督を務めるのが大変なのであって、彼女のようにフリーの原画マンだと
自分の都合に合わせて仕事量を調節することが可能だ。
アニメーターの仕事の性質も、彼女の複数の活動を成り立たせている要因である。
自撮りの写真から自分の見せ方への意識の変化を見ていくとしよう。
前者はSNS開始から間もない頃の写真だが、既に驚かざるを得ない。
顔出しをするような女性アニメーターは皆無だからだ。
もうこの時点で既存のアニメーターとは全くタイプが異なる新人類だ。
少し毛玉が付いている服だったり、後ろの戸から判明してしまう家の築年数の古さだったりと
今も昔も迂闊なところはあるが、両者の違いは一目瞭然である。
今は完全に他人から見られていることを意識しているのが分かる。
数々の自撮りを挙げアニメーターとしての名声も獲得したことから、その胸と反比例するように今では大きな自信が付いているのだろう。
彼女がツイッターを始めたのが2016年3月13日。自身が総作画監督とキャラクターデザインを務める「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」の放送直前の時期である。
その時期まで他人に公開するSNSをしていなかったのは、やはり理由があるだろう。
多忙や所属組織による外的な制約もあったかもしれないが、それでもSNSで発信しているアニメーターの卵と呼ばれる人たちはたくさんいる。
何者でもない存在だった時に自らを発信することを控えたというのは、彼女の細心さとプライドを推し量れる材料かもしれない。
矢野 (美人と)言われてイヤなことじゃないんですけど、贔屓(ひいき)されて作画監督とかキャラデザをやっていると思われたくないんです。ルックスは関係なくて、完全に実力の業界だと思うので。
これはただ謙虚であるだけで済ますわけにはいかない発言である。
反対に、とある立場に就きその立場に応じた振る舞いをするのは実力の裏付けがあるからだと
読み取ってしまったのは邪推だろうか。
総作画監督という作画における最高責任者になって人に遠慮することが無くなったので、SNSを始めたと考えられなくもない。
そこからは自らの原画やスタジオの風景の写真を挙げたりと、
SNSを始めたばかりにしては活発すぎるほどで彼女の興奮が伝わってくるようである。
彼女の活動はアニメの制作現場に収まらず、ラジオや動画番組そしてイベントにも広がっていく。
筆者の仮説なのだが、彼女は紙の上にキャラクターを描くことと
現実世界で自分をプロデュースすることに違いはないように思っているのではないだろうか?
続く