ゲームは総合芸術である。
漫画やアニメの構成要素を全て揃えており、その作品世界でプレイヤーとして楽しむことが出来る究極的な娯楽と言えるだろう。
他のオタク趣味と違って、コントローラーを用いてプレイヤーを操作しないと作品が展開されないので
ゲームオタクほど主体性が求められるオタクは無いのである。
レベルデザインの面から考えると、開発者がプレイヤーのあらゆる行動を想定して作る特異な創作物だ。
しかし、その前提は動画投稿サイトが登場して崩れてしまった。
ゲームもまた漫画やアニメと同様、他人のゲームプレイを介して鑑賞することで楽しめるオタク趣味となったのだ。
言うまでもなくゲームを体験しているのは実況者であり、共有と言えば聞こえは良いが他人のゲーム体験を体験しているに過ぎない。
実況者のプレイやトークが面白く感じるのだとすれば、それはゲームプレイの二次創作を楽しんでいることになる。
新しい時代のゲームのコミュニケーションツールとしての在り方かもしれない。
本来自分がするべき体験を他人に委ねて鑑賞して済ます、その主体性の放棄はゲームの存在意義に反しているのだ。
自ら対象を探求しないオタクなどオタクとは呼べない存在である。