TVアニメ『ソードアート・オンライン アリシゼーション』がもうすぐ放送されるが、以前からこの作品における「命」の扱われ方が気になっていた。
主人公キリトが救おうとした命は、ある意味で段階を踏んでいると気付いたからだ。
序章のアインクラッド編ではゲーム内での死亡が現実世界での死に直結する設定だったので、
現実の命と仮想世界の命は等価だった。
自分も他者も含めてであり、そこには死を切り抜けるための必死さと相手を倒すことへの葛藤があった。
次のフェアリィ・ダンス編ではもはやゲーム内での死亡が現実の生死に関係することが無くなり、
デスゲーム作品が持つ緊張感が薄れたように思われた。
しかしリアルとバーチャルの別々に自分が存在するのは、寧ろネット社会に移行しつつある我々の現在に近い。
現実と仮想世界が相互にリンクし、一人の人間が可能性としての複数の存在を持つことになる。
別々の世界が密接に絡み合う展開で、立ち向かう困難と試練は両者の連携を上手く図ったキリトによって解決されることになる。
現実世界の命と仮想世界の命は対等なものとしてこの章では描かれた。
しかしマザーズ・ロザリオ編からは仮想世界を優位とする傾向を作品から感じ取れるのである。
この章のメインキャラであるユウキは難病を患っており寝たきり状態である。
しかし仮想世界では主人公キリトを上回る剣技を持つほどの運動能力に恵まれ、周囲には賑やかな仲間がおり
現実世界と違って存分に生を謳歌している。
そんな彼女も現実世界で死を迎えると、仮想世界でも実質上死ななければならない。
現実世界は魂の枷であり檻であると原作やアニメで感じた人も多かっただろう。
最終章となるアリシゼーション編ではキリトの仲間となるキャラクターは仮想世界のAIである。
仮想世界で生まれ仮想世界で育った現実世界に基盤を持たない存在だ(正確に言うと彼らの魂の素材は現実世界の人間に由来している)。
これまで現実世界とそこにある自らの肉体に裏付けられた仮想世界で数々の命を救ってきたキリトだが、
この章では純粋に仮想的存在である彼らを救うことや魂の意味を問うことに直面させられることになる。
明らかに仮想世界を用いて命や魂の本質に迫ろうという作者の意図があり、それは今期スタートするアニメで描かれるはずで楽しみとするところである。
TVアニメ「ソードアート・オンライン アリシゼーション」オフィシャルサイト
https://sao-alicization.net/