子供の「好き」に後ろめたくなった

キッズが描いた「グリッドマン」の謎の新キャラ
http://onecall2ch.com/archives/9253105.html

 

掻い摘んで説明するとSSSS.GRIDMANを観た子供が自分でオリジナルキャラを創作し、

その熱意に応えた公式のアニメーターの斉藤健吾さんがそのキャラをリファインして描いたという心温まる話である。

TVアニメとしては深夜の放送だが、配信全盛の今では子供も深夜アニメを視聴することができるのは当然なのだが、

件のアニメーターや制作スタッフにとっては自分の作品が子供に届いたことが喜びだったはずである。

 

その神対応の話とは別に、筆者としてはアニメが好きな子供の想いが眩しく、同時にオタクとしての我が身を後ろ暗く感じたのである。

 

この子供のやったことは大人のオタクの世界では二次創作というのだが、それを当て嵌めてしまうのは子供の純粋さを汚すことになるだろう。

 

今はオタクとなってしまった大人でも、「好き」の感情の発露でやってしまった黒歴史の過去はあるはずだ。

子供というのは一般的にはオタクには当てはまらない。

そこで、同じ作品やキャラを愛するオタクと子供を隔てるものは何なのか考えざるをえない。

 

オタクとは「お宅」というのが語源の一つである。

文字通り構えているのである。

自らを塀で囲っているのは他者の存在を意識した上での行為であり、その他者と比較する意識からも逃れられない。

そして、塀の中で一人営々と何かを拵えている行為そのものが自分の欲望にしがみついていることを連想させるのである。

 

自らの内の個の確立と、周りの存在の中で個を意識することは

すなわち大人になることと同義なのだが、代償として自らを制約することもある。

それは自分の歴史を裏切れないことであり、人の目を気にすることである。

 

戻ることは叶わないが原点としてれっきとして存在している子供時代、せめて振り返ることでオタクとして我が身を正すことが出来るはずだ。