Tokyo 7th シスターズ、通称ナナシスは楽曲のレベルの高さが持つポテンシャルを有望視されながらも未だ花開くこともなく
長い雌伏の時を余儀なくされている音楽アイドルコンテンツである。
作品内にセブンスシスターズというグループがある。
設定では人気絶頂期に突然解散して既に存在しない伝説のユニットとなっており、現在活躍する各音楽グループが目指し乗り越えなければならないカリスマとして位置している。
つまり彼女たちの曲は、現実でも納得できる高い完成度を求められていることになる。
そしてその期待が裏切られることはなかったのである。
セブンスシスターズ SEVENTH HAVEN
https://youtube.com/watch?v=QrjukFQZXy4
頂点に立った者たちの漲る自信が歌詞に、彼女らがその軌跡を駆け抜けた疾走感がメロディーに表現された名曲となっている。
以下は、作品中の設定や歴史を特に考慮しない筆者独自の考察になる。
そこから作品の停滞を打破する打開策や目指すべき方向性が得られるかもしれないと考えるからである。
君と僕らで ぶつかっていく音が
Ah(Ah) Ah(Ah) 現在を砕く
求めるだけじゃ 辿り着けないの
Ah(Ah) Ah(Ah) 僕らのHavenに
彼女たちはぶつかり合いに例えられるほどの相互交流をファンに求めているのである。
ファンは単なる聴衆でいることは許されない。
私たちの音楽はあなたたちと揉まれ合うことでより優れたものになる、という願いがある。
ただ想像で望んでいるだけでは決して届かない高みであり、
その頂で私たちは理想の音楽を手にすることが出来るという期待がある。
もう聞き飽きたの 同じような言葉は
予定調和の世界なんて必要?ねぇ 君とならば 叶えられる
気がしてる こんなの幻想?
もう 始めようか シニカルな
微笑みを作って
圧倒的な人気を得た彼女たちだが、巷に溢れる音楽を繰り返すようなことはしたくない、という怖れが僅かに垣間見れる。
だから彼女たちは、一緒に私たちと歩んでくれるファンの存在を求めている。
ただその歩み方は、がむしゃらで汗を撒き散らすような必死さが伴うものではない。
あくまでクールに実現する、私たちの音楽を。
実力に裏打ちされた彼女たちの絶対的な自信がそこにある。
君と僕らで ぶつかっていく音が
Ah(Ah) Ah(Ah) 現在を砕く
求めるだけじゃ 辿り着けないの
Ah(Ah) Ah(Ah) 僕らのHavenに
ファンにはグループの7人目の席が用意されている。
それは彼女とファンが一体化することで既存の音楽を革新することを意味している。
繰り返される 甘すぎるワードを
引き裂いた先 待ってるものは何?ねぇ 僕らとなら もっと遠く
いけるでしょ その手を 伸ばして
そう 今からでも ラジカルな
明日に変えていこう
アイドルはその歌でファンを心地良くもてなすものと思われがちだが、頂点に君臨した彼女たちがそんな従来の考え方を受け入れるはずもない。
ファンにはただの聴衆でいてほしくないと繰り返される願い。
奉仕して持て囃されるような旧来の関係と違って、両者が対等の関係になることで生まれる音楽で、既存のアイドルを超えていきたいのだ。
Hey! Are u ready?
Hey! Can u feel?
Hey! Bring the clap!
Hey! Make some noise!1! 2! 3! 4! 5! 6!
Seventh Stlike Back!!
これら英語の歌詞は会場でのファンの一般的な行動様式であるが、彼女たちと共に音楽を担う者として
もっと大きな場所で求められるべき行動を述べたものである。
受け止めたものを感じてその感動を表現して発信する、そうすることで7人目としてこれまでの音楽を打ち破ることが出来るはずだと。
君と僕らで ぶつかっていく音が
Ah(Ah) Ah(Ah) 現在を砕く
信じているから 見せつけていくの
Ah(Ah) Ah(Ah) 強い意志を
君と僕らで 広がっていく音が
Ah(Ah) Ah(Ah) 現在を変える
求めるだけじゃ 辿り着けないの
Ah(Ah) Ah(Ah) 僕らのHavenに
ファンの信頼に応えることが出来る圧倒的な自信、そして両者が切り開くまだ見たことのない
未来の音楽の到来への確信が彼女たちにはあるのだ。
このファンに求めるものの大きさが作品の肝要であり、他作品と差別化を図れるところだろう。
彼女らが望んだ場所にナナシスは辿り着けるのか、コンテンツの創始者とファンは今一度考えるべきだろう。