アイドルアニメに否定的な筆者がアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』にハマったのは、
主人公の高咲侑のおかげである。
今回はその魅力と、彼女が他のアイドルアニメの主人公と異なっている独自性を語ることにしたい。
高咲侑はスクールアイドルにときめいている存在である。
スクールアイドルへの憧れがありながらも、しかし自身は決してスクールアイドルを目指さない立場である。
しかしながら彼女の作中での活躍は目立たしい。
部員に好意を伝え、励まし、気付きを与え、説得し、同好会の方針を考え
舞台を整えることまでする献身ぶりを発揮している。
マネージャーと言うより友達寄りな交流を通して、視聴者はよりスクールアイドルを身近に感じられるのである。
作中で流れていく同じ時間にスクールアイドルと過ごす一体感を与えてくれたのは紛れもなく彼女だ。
面白いことに、スクールアイドルと同性であるが故に濃厚な関係が許されているのだが、
逆にアイドルの一人ひとりに縛られない自由も得ているのだ。
彼女がスクールアイドルを支えるサポート役に留まっているのかと言えば、必ずしもそうではない。
彼女の「スクールアイドルとファンの垣根を無くしたい」という言葉は、物語後半で結実することになる。
誰かを応援している人はアイドルであり、同じくアイドルも誰かを応援するファンであることが
この作品のテーマだと筆者は受け取ったが、最終話で彼女に訪れた展開はまさにこれを体現していた。
アイドルがステージ上でパフォーマンスをするだけの存在であることが常識とされてきた
今までのアイドルアニメとは一線を画している。
この作品ではステージは日常に、パフォーマンスは日々の交流に置き換えることが可能だ。
高咲侑は、積極的な相互交流でもってアイドルとの距離感を縮めただけではなく、
祭り上げられたものではないアイドルの本質を考えるキッカケを筆者に与えてくれたのである。