オタクの垢と隙

昨今、作品を評価するにあたって作品外の要素を考慮した言説が多い。

絶対的な評価の基準を持たない一般人はそれで良いのだろう。

しかし我々オタクがそれに倣うのならば非難は免れない。

 

スタッフや制作の事情などの業界知識を知りたがり、また語りたがるのはオタクの性である。

オタクとしての歴の長さも、自分の歴史を作品に重ねて語ることに繋がっている。

そのような付随する諸々が、より作品に愛着を持たせているのだろう。

しかし、作品を芸術の産物と捉えるならば

それを単体で評価しないことは作品の価値を貶めているのである。

新規、或いは後世の人たちが作品を解するに障害があってはならない。

芸術は永遠で、作り手と評者は有限的な存在だからだ。

 

我々が価値判断する際に、作品の「外」に重きを置くようになると、それは製作者にとって好都合な隙となる。

実績より人気で製作陣は選ばれ、作品自体より制作プロセスを重視した宣伝戦略がされるようになる。

そうした作品は一過性の隆盛を経た後で、見向きもされなくなる。

 

作品の周辺に興味を持ちつつも、それらを切り離し冷静に作品の価値を見極めることがオタクに求められているのである。