声質と幻想

ブログを振り返って見ると最近は声優の記事が多い。

しかも演技を評するものは皆無で、内面を探ろうとするものばかりである。

我ながら声優への迫り方として邪道な気がしないでもない。

 

声優であるから彼らの内面に関心を抱いている、というのは間違いではないが正確ではない。

彼らの生き様や性格が演技に反映されると信じているから関心を抱くのである。

演者の内面が演技に関係するものがあるとすれば、

キャラクターへの共感や場面状況の認識、そして音響監督の指示の理解くらいだろう。

それらを除いて仮に誰かが、演技は発声に関する器質的な問題で

訓練でそれを上達させていくだけのものに過ぎないと意見を表明したとすると筆者は困ってしまう。

反論したいがこちらは証明が出来ないからである。

だからと言って簡単に引き下がるつもりはない。

 

声質なる言葉は、我々声優オタクでも先天的に持って生まれたものという意味で使いがちだ。

しかし筆者は後天的にも声質は形成されると考えている。

アニメ化前の原作漫画や小説で作中人物のキャラクターボイスを妄想する時、候補の声優が思い浮かぶが

ただ声だけではなく声優の内面も込みで的確に連想しているのだ。

あるいは、全く知らない新人声優が抜擢されたとしても

ラジオや動画番組で明らかになっていく演者の精神遍歴に裏付けられたものだと納得させられることもある。

そのような不思議な体験の数を重ねて声優オタクに確固とした信念が築かれていく。

声と精神の間に繋がりを見ることは幻想かもしれない。

しかし筆者はそれを確信しているのだ。