伊達さゆりさんと言えば言わずと知れた『ラブライブ!スーパースター!!』の大人気声優である。
その高すぎるポテンシャルにラブライバーはもちろん、いずれラブライブでの役割を終えた後の
一般アニメへの進出と活躍を期待している声優オタクもいるだろう。
そんな彼女には『伊達おじ』と呼ばれる年配のファンがいる。
ガチ恋勢とは違って、自分の娘のように彼女のことを可愛がる特徴があるらしい。
オタクの高齢化と高校を卒業したばかりの彼女の若さの相乗効果によって産まれてしまった存在である。
この存在を知って筆者は、オタクというものが年を取るものでなければと強く願ってしまった。
ただの年上ではない、親世代に位置してしまうほどの年の差が弊害を生むことが分かりきっていたからである。
考え難い例だが、仮にこの先彼女がミスを犯したとする。
伊達おじはどう反応するか。
若さゆえの過ちとして彼女の責任を問うこともせず許したり、世代の違いによる放任主義で甘やかしてしまうことが考えられるだろう。
それは推しを崇拝しつつも対等な意識を持って関係を築こうとしてきた従来のオタクとは異質である。
どうしても「上から目線」であることからは逃れられないのだ。
これから対面で交流する機会があったとしても、伊達おじの余りにも多くの時間を経た肉体と精神で発する言動が
彼女を困惑させてしまう場面も出てくるのではないだろうか。
そしていくら否定し隠そうとしても、伊達おじの根底には推しへの下心と性欲がある。
年齢差でそのことを内心恥じていてはいるが、両者を親子関係に置換することで解消しようとしているようにも見えるのである。
正面から交錯せずに、すれ違う中で絡もうとする歪んだ意思とも言えよう。
では伊達おじがどうすべきかと言うと、非常に厳しい言い方になるが
伊達さんの前に自らを露出しないことである。
個人的に対面するイベントは避け、どうしても参加することになっても存在を誇示しないことだ。
その有り様は存在として不気味ではあるが、彼女に負担をかけるより遥かにマシなのである。
心掛けや自戒とかいう精神を改める程度では肉体や精神の年輪は消えないのである。
具体的な「行動抑制」こそが解決策である。
伊達さんは才気溢れる人間なので、上手くそして軽やかに伊達おじを扱って
両者の関係の新たな模範を示してくれる可能性もあるかもしれない。
もしそんな展開になれば筆者も考えを改めなければならないが、人の内面は見えないのである。
つまり彼女の精神的な負担や苦労は見えるわけがなく、彼女の純真さを年の功で汚さないと思えばこそ
伊達おじがどう行動すべきかは自ずと分かるはずである。