創作の根本を分業化してきたエロゲは滅んでほしい

原画家シナリオライターが複数担当制のエロゲが売られ、それがユーザーに認められている現状が全く理解出来ない。

違う人間がキャラクターデザインとシナリオのような創作の根本を担えるとはとても信じられない。

創作においては、複数の人間が一人に完敗することがある。

他者との妥協のない完結した世界は、ただ一人の創作者の脳内にしかないと考えている。

 

しかし不思議なものである。

複数の原画家による明らかに統一されてないキャラクターデザインをエロゲユーザーが受け入れていることが、である。

はっきりとした視界の違和感をやり過ごす彼らの感受性はどうなっているのだろう?

例えば絵柄が異なる複数の作家が描いた漫画があったならば、とても読める代物ではないと思う。

絵柄の統一よりも多様性を重視しているのだと考えるしかない。

一人の作家だと確かに描き分けが大変だが、同じ絵柄が与えてくれる親近感は何者にも換え難いのである。

 

複数のライターの書くシナリオへの違和感も同様である。

各ルートにおいても、同じキャラが立体的な人間だと感じさせるまでに造形できているのかといえば疑問である。

それにルートそのものがライター別に分かれた「パターン」に感じることも多い。

一人の創作者だと破綻なく、そして世界から生まれる自然の分岐だと感じさせてくれるのである。

 

以上の分業は一人の創作者に依存するリスクを避け、分量とバリエーションを増やすことを考えた制作側の都合であるが、

作品の安定的な供給と引き換えに質の低下を招いている。

エロゲが復権するには、分業をしてはいけない創作過程の線引きが求められている。