我らオタクが愛する二次元の領土は侵攻の危機を迎えている。
侵略者は、その性に纏わりそして自ら克服できなかったコンプレックスが聖痕と化した者たちである。
スティグマを癒やすのは他者への攻撃のみである。
その結果、我々オタクは彼らの攻撃対象として選ばれたのだ。
男性オタクが作品やキャラで好むのは女性らしさである。
萌え、エロ、男性優位、これらオタクの嗜好に沿って漫画やアニメは作られている。
言うまでもなく侵略者にとってはそれらの要素は格好の的であろう。
もし侵略者に支配されたならどうなるのだろう?
作品は女性に配慮されて中性的なものとなり、性的興奮を呼び起こすわずかな描写も許されず
いかに作者が抵抗と工夫を重ねたとしても質的な変化を余儀なくされるだろう。
オタクにとって「絵」はストーリーと同等、あるいはそれ以上に大事なものだ。
絵があるから漫画でありアニメなのだ。
異性の魅力とその表現には性的な要素が含まれるのは当たり前で、時に誇張され時に過激に絵として描かれている。
侵略者たちがそれに反感を抱くのみならまだ許されるのである。
しかしこれらを否定して存在を抹殺したいのならば、内心の自由という法よりも尊ばれてきた精神へ挑戦する覚悟を問われることになる。
わざわざ表現を、架空の世界を作る創作という形式で行っている意味を考えるべきだろう。
そこには隠されて見えない現実があり、望みながらも達せられない理想があり、反社会的な欲望や衝動もある。
現実ではなし得ないものがそこにあるのだ。
想像と創作の本質は自由である。
現在当たり前のようにある表現の自由だが、その獲得には多くの人類の犠牲が払われてきた。
自由を享受する我々はそれを守る役割が課されている。