秋元康の声優グループに屈するのならば、我ら声オタは死んだほうが良い

秋元康氏が率いる22/7という声優グループが表舞台に姿を現そうと着々と準備中だ。

この22/7の概略を文字で追っていくだけで、声オタである筆者は違和感と抵抗を覚えた。

この記事は22/7とそれを率いる秋元康氏への批判となるが、それとは反して合わせ鏡のように声優がなぜ声オタにとって魅力的なのか明らかにしたい。

 

この22/7という声優グループ、周囲からかなりお膳立てをしてもらってデビューから現在に至っている。

22/7の存在がまずありきで、舞台や映像などのコンテンツが広がっている印象だ。

最初の違和感はそこにある。

 

実は声優を中心にコンテンツが作られることもある。

しかしながら声オタがそれを支持することは少数例だ。

どれほど重度な声オタと言えど、推しの声優以上に出演している作品そのものを尊重している。

作品があってこそ声優が活躍できる、それは声オタの揺るぎない共通認識だ。

対象の個人について、元々持てるルックスや性格ではなく、作品のキャラを演じることから生まれる内面的な魅力を見出すことこそ

声オタがドルオタに誇ってもいい美徳ではないかと思う。

 

次に22/7のメンバーの露出の過程に抵抗を覚えた。

最初11人(12人とも言われている)のメンバーが選ばれたらしいが、なぜか最初は8人のメンバーしかファンの前に登場していない。

アニメ業界ならば作品に出演していない声優はいくら人気があっても、関係がなければ関係はない。

しかし22/7というのはグループであるから、残りの3人が控えのような立場で存在しているのである。

ファンはその3人を「隠し玉」として有難がっていたようだが、各メンバーの登場と活躍にこのような差異をつけることで

ファン心理を操っているように思えた。

メンバーを競わせ、ファンには推しを競わせる終着点が「総選挙」と言える。

総選挙のシステムを声優グループの22/7に導入するか未定であるが、この事例はその予兆を窺わせた。

 

対して声優は、演じたキャラを背負っての人気がある。声の仕事という本業があるので、人気が実績や実力と遊離しにくい構造になっている。

基本的に仕事で残したこと以外で同業者と競わされることがない。

本業が仕事なのか人気を獲得することなのか、その違いが声優と芸能人の違いであるし

彼らを支えるファンの違いである。

芸能アイドルの手法を導入しようとしている22/7は当然後者だ。

 

それに声優を人気で競わせる企画があろうものなら、企画の発案者はもちろんそれに参加させた声優の所属事務所は炎上してしまうだろう。

仮定の話だが、声オタは絶対に声優の「総選挙」を肯定しないはずだ。

 

 

以上従来の声優と新しい仕掛けに乗って参入してきた声優の違いを見てきたが、

声優は作品の先頭に立たないからこそ「主役」になれると言えるのではないだろうか?