コミケの業火

例年通りあと少しで夏のコミケがやってくるのだが、今年はそれを取り巻く状況が少し変化している。

先月から続く猛暑は日本人の健康や命を脅かしている。

気象庁長官でさえ災害と認識せざるを得ないほどの異常事態である。

 

コミケ東京五輪や甲子園に対するのと同じ論調で語られるべきだろう。

しかしながらコミケをめぐる人たちにとっては完全に他人事らしい。

これまでと同じ猛暑の下での開催が予想されているが、誰一人コミケの中止や規模縮小を訴えないのである。

 

当事者の立場になれば当然かもしれない。

頒布物を巡る売り手と買い手の欲望のぶつかり合いの場と機会が無くなるなどとは以ての外だろう。

今更ながら、この「頒布」という言葉のいかがわしさと言ったらありはしない。

その本来の意味である同好の士の間で交わされるものだとしてその精神の延長線上には、相手を思いやる心があるはずである。

いくらオタクにとってコミケの頒布物が大事とは言っても自分の健康や命以上のものとは思えない。

 

しかし頒布物が実質商品となってしまっている場ではそんな気遣いもあるはずがない。

なんとしても売りたい、何があっても買いたいという双方の欲望が存在するだけである。

 

更に、買い手は客として遇されず「参加者」としての道義的かつ自主的な行動を求められている。

主催者やサークルは、参加者に努力を求めることで事態の解決を図ろうとするのだ。

 

言うまでもなく炎天下に行列に並んでいる参加者こそが猛暑の影響によるリスクを一番背負っている。

そんな過酷な状況下にいる彼らの自助努力がどれだけ成果があるのか疑わしいものだ。

 

オタクが対極にあるであろう悪しき体育会系の精神と行動原理を受け継いでしまっているのは皮肉なものである。

死者が出てようやく根本的な解決に乗り出すようでは手遅れなのだ。