推しは一方通行

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地獄の季節がやって来る。

コロナ禍で失った利益を取り戻そうと声優をファンの矢面に立たせるイベントが、

今年から溢れかえるほど実施されるだろう。

今でさえ接近イベントでのファンの醜聞をちらほら聞くレベルなので、

将来的には警察沙汰になる重大な事案が発生するに違いない。

原因はファンの認知欲求である。

 

この問題への対処として、まず声優とファンは対等ではないという基本的事実を改めて認識しなければならない。

一対多の非対称の関係であり、それでもファンが一対一の関係だと錯覚してしまうのは

そうすることでファンを増やし彼らの忠誠心も高めたいとする関係者の戦略に過ぎない。

そのような中で声優にファンへの個別的な認知が発生する場合は、必ず異常で不愉快なものが伴うのである。

 

大抵のファンにとって接近イベントは一方通行の虚しさを感じながらのコミュニケーションとなるはずだが、

筆者はそれで良いと考えている。

憧れの声優を間近に見れて自分の言葉を伝えることが出来る。

それ以上を望むのならば思い上がりも甚だしいと言わざるを得ない。

声優が多数のファンに存在を知られ応援されるのは、一個人を映像と音声でもって増幅しているからだ。

イベントで会う生身の声優はその拡がったイメージの源である。

ここで、だから個別に認知してもらえるチャンスと考えるか

若しくは逸る気持ちを自制して応援するかで

厄介とファンに分かれることになる。

 

推したら「推し返されたい」と願うのは人情であって、そのことで厄介を責められはしないが、

その衝動に身を任せて個人的な関係を築こうとして声優を困らせるとなると話は違ってくる。

代償を求める対象は、結局崇拝の対象でも無くなってしまう。

ファンと声優は人と神の関係を思わせるところがあって、共に近付こうとすると

両者の関係を瓦解させる展開が待っている。

距離を置くから崇高な関係が築かれているのであり、

声優を売り出すための彼らに纏わるサービスに乗じて

双方向の関係が持てるなどとファンは夢を見てはいけないのだ。