筆者も戦争FPSのゲームに長い間ハマっていた時期があったが、今思い返すと後悔の気持ちが強い。
"自分の何を活かし何を得たか"という問いに答えが出せないからだ。
現実とゲームの仮想世界に著しい乖離があるので、それは当然の結論だろう。
ゲーム内で完結するような楽しみで満足するのは子供であって、
現実と関連付けて楽しもうとするのが大人である。
残念ながら年を重ねるとゲームでしか通用しないことに夢中にはなれない。
そこで筆者を悩ます現実と仮想の両極に関して思考を深めて行きたい。
これからゲームが進化して行けば、デジタルで描かれる仮想世界は限りなく現実に近付くのだろう。
現実の諸々は仮想世界に応用でき、また仮想世界で生まれた物も現実に転用可能になる。
両者は一致し、ゲームは大人のプレイヤーも楽しめるものとなり一件落着だ。
しかし筆者は妄想を続ける。
段々と仮想世界の優位が現れ始める。
時間と物理と倫理の制約が無いことで、現実を取り込みながら
現実を超える効率的な狡い世界の本質を目の当たりにする。
仮想世界に働きかけ刺激を受けた人間の脳は、やがて恩恵を与えてくれた仮想世界をも置き去りにしてしまうのかもしれない。
主体の脳は、働きかける客体が現実と仮想で区別しなくなり、
現在を理想で思い描く未来で塗り替えることを企む。
ここでは合理的な思考とそれによって切り開かれていく世界が、主体にとって唯一のリアリティだ。
そうして合理的な思考こそが脳のリアリティとなり筆者の妄想は結論を迎えた。