オタクの関心と時間には限りがある。
そこに割込もうと様々なコンテンツが供給されるわけだが、
その良し悪しは必ずオタクに判定されていることは忘れてはならない。
作品の消費が、各個人にデータベースを蓄積させ判断基準が形成させる。
オタクは作品と構成要素の責任者を特定し、その責任を問う。
やがては先回りして供給される作品のクオリティを予想し、消費態度を決める。
究極的にはクリエイターと制作会社などの制作主体の名義がブランド化し、取捨選択の重要な対象となる。
数撃てば当たると言う制作方針は、オタクの蓄積と経験の特性を無視したもので
将来的に作品以前の理由で忌避されるリスクを齎す。
オタクを傷付けた一つ一つの失敗たちは霧消するのではなく、彼らの中で統合されて不信の原因となって
それを生み出した者たちに時を経て復讐するのだ。