筆者は呪術廻戦に関心が持てずこれまで原作やアニメに触れてこなかったが、
懐玉・玉折編には惹かれて飽かず何度も視聴している。
しかし筆者には疑問に思ったことがある。
最終話で夏油との過去の追憶に耽る五条悟の姿と、
その過去の青春は「甘い追想の色にも、苦い後悔の色にも映る」ものだとする主題歌を担当したキタニタツヤのコメント。
五条と夏油はもし再会したら殺し合いが避けられない運命で、
破局の経緯を考えると二人の関係修復は不可能だ。
だとしたら過去に目を背けて記憶を封印する処し方もあったはずだ。
しかしそうはならず五条は夏油との過去を慈しむように反芻している。
ここではOP曲『青のすみか』の歌詞を援用しながらその理由を探っていく。
筆者は最初、アニオリ回の懐玉-壱-の帳の話の存在意義がよく分からなかった。
繰り返し観るうちに結界の内と外をめぐる戦略に繋がる話で、
伏黒甚爾が五条に勝利を得る伏線になっていることが分かった。
更に観ていくと、術師とその影響を秘匿する帳の考え方が夏油の闇落ちを示唆していることが分かった。
一般人である非術師と術師の境界に拘ることをせず帳を疑問視した五条は、
非術師の保護を名目に両者を峻別する思想の夏油に"僕と違うきみの匂い"を感じ始めたはずだ。
元より自分を語りたがらない夏油の性格もあって、"きみという沈黙"である彼の本心を五条が掴めなくなる始まりだ。
それとは別に、夏油が術師としての強者の自信を失う未来を予言するような五条の言葉もある。
他人を守る為の力、それに理由と責任が乗せられれば尚更、弱者の思想だと五条は言うのだ。
"四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない"、最強の二人だと互いに認め合い常人には届かない遥か先の地平線を望んだ二人だが、
術師の立場と役割を疑うことになる夏油は、最強を目指す一人にすぎなかったことを悟り次第に堕ちていくのだ。
非術師と術師を峻別する考え方は夏油のミスを誘うことになる。
まずは非術師である天内のメイドの価値を見誤り、彼女を人質に取られ彼は後悔する。
そして高専結界内に戻ったことで五条とともに油断し、伏黒甚爾の侵入を許す大失態も犯す。
いずれも非術師と術師も同じ人間と見れば防ぐことも出来たはずの失敗だ。
極め付けは非術師の為に呪霊と戦う中で後輩を失ったことで、夏油の精神は激しく動揺をきたす。
同じ立場の者を守ると考えるのならば、悪堕ちしない確固とした使命への覚悟もあったはずだが、
犠牲を払う虚しさに非術師を排斥する思考にショートカットしてしまった。
それまで頑なに術師としての役割と責任を守ってきた夏油だが、
彼にも人間らしさも残されていて、それを他人に認めようとしたシーンがある。
逸脱を他人に認めたことはやがて彼に術師としての建前を捨てさせた。
後輩の「自分に出来ることを精一杯頑張るのは気持ちが良い」という言葉も、
夏油に醜悪な本心に従うことを肯定させた。
「自分らしさ」が悪の道への導きとなったのだ。
五条と夏油は互いの未来を交換しかねない危うい交錯の瞬間があった。
天内の遺体を取り戻した五条が教団施設で夏油と再会した時だ。
信者の皆殺しを提案した五条は、その時は夏油の運命を辿る可能性もあった。
この時点では辛うじて術師の立場を堅守して信者の保護を図った夏油の方が正義だった。
しかし精神が崩れかかった夏油が術師としての正論の拠り所を外部に得ていたのはこれが最後で、
以降は自身に求めることになったのだ。
以上のように本心に従い自分らしく生きることを決意した夏油だが、五条もその彼の影響を受けている。
伏黒恵を仲間に誘う動機やその勧誘の際の「強くなってよ、"僕"に置いていかれないくらい」のセリフもそれだ。
超然として自分一人だけが最強だった後悔が反映されている。
破局は苦く痛みもある。
しかしその過去を経て互いの自分がいる。
敵同士になっても理解しあえる相手がいる。
そこには人が出会うことへの讃美がある。
"また会えるよね"と別々の運命を歩む二人は再会を願わずにはいられない。
"今でも青が棲んでいる 今でも青は澄んでいる"、過ごした青春の青色は時間を超えて今も鮮烈なのだ。
TVアニメ『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」OPテーマ:キタニタツヤ「青のすみか」
https://youtube.com/watch?v=gcgKUcJKxIs