虹ヶ咲声優と腋

本来性器ではないが、性的な意味を仮に付与されることで

性的シンボルとして男性を刺激する、それが腋である。

腋に対する考え方はファンへの姿勢と駆け引きの違いを生み、

虹色のグラデーションの如く女性声優の個性を咲かせている。

そして演じているキャラとのシンクロまで浮かび上がってきたのである。


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大西亜玖璃さんと言えば声優の前にアイドル時代があって、

自身が性的な存在として見られることにも慣れているはずだ。

当然腋を見せることに抵抗は無く彼女のファッションの好みもあるのだろうが、

それにしてもこんなにも腋が大きく開いた服をよく着ているのは何故なのか。

ファンならば誰でもその彼女最大の禁忌とも言うべき理由を知っている。


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それは腋汗をかきやすい体質だ。

しかし感心したのはそのことを恥ずかしがって隠すのではなく、

敢えて腋が見えるような開放的な服を着る選択をしたことだ。

それは彼女が演じる上原歩夢が侑との二人きりの関係に閉じこもることではなく、

多くのファンへの関係を築くことを選んだ思い切りの良さと決断力に相通じるものがある。


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久保田未夢さんも虹ヶ咲とは別のアイドルグループで活動していて、

腋を他人に見せることに抵抗が無いのは大西さんと同様である。

しかし久保田さんと大西さんとでは決定的な違いがある。

彼女はSNSでよく女性向けのゲームに萌えている発信をしている。

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そして過去のイベントでは女性声優の範疇を大きく越えた男性ファンへのサービスも披露している。

つまり彼女自身はファンとしては異性からの刺激を感じていて、

声優としては自覚的にファンに性的な刺激を与えているのである。

そんな彼女が腋を武器に、虹ヶ咲唯一のセクシー路線を担当するキャラの朝香果林を演じているのは必然なのだろう。


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正直に言うと筆者は鬼頭明里さんの性格が分からない。

かつて彼女と一緒のラジオのパーソナリティを務めていた春野杏さんが「彼女は化粧の前と後では顔が全然違う」と言っていたが、

それと同じく心に厚化粧をしている本性を解き明かせないのである。

しかし彼女にはっきり感じることが一つある。

それは体験への貪欲なエネルギーである。

それを裏打ちするであろう性格の解明はこの際置いて置いて、何にでも意欲的で挑戦的なのは誰の目にも明らかだ。


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新人時代には異例のへそ出しのコスプレを求められてその期待に応えている。

常に物事に全力全開で挑む彼女が腋を全開にするのは当然である。

おとなしく見えて謎の不屈の意思と粘りを垣間見せる近江彼方と鬼頭明里さんの雰囲気は重なっているのである。


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楠木ともりさんの腋見せの考え方の変遷は、男性ファンの敗北の歴史である。

以前は純真無垢の少女のように腋を見せることに躊躇いも無かったのだが、

今では心と腋を閉じてしまった理由を本渡楓さんとパーソナリティを務めていたラジオ『本渡楓楠木ともりのFUN'S PROJECT LAB』で語っている。

本渡「タンクトップとかスリーブ、肩・二の腕出る系のものが好きだけど、家ではよく着るんけど、外ではあんまり着ないかな」

楠木「うーん」

本渡「というのも、すみのりさんみたいに腋のこと言う人がいるから」

楠木「そうなの!そうなの!」

本渡「あなたみたいな人がいるから着れないのよ恥ずかしくって。だって見るんでしょ」

楠木「そうそう。本当に。そうなのよ」

男性の邪な眼差しが彼女の性の目覚めと男性への嫌悪を促したのである。

おそらく今の彼女がアーティスト路線に拘ってる理由にもなっているとも推測される。

そこにはファンが楠木さんに代わって望むアイドル路線を継承する優木せつ菜と、

男性に媚びない潔癖さを望む性格の中川菜々の対立がある。

虹ヶ咲を辞めても続く楠木さんの長期的な課題ではあるが、いつか本心からファンの期待に沿いたいと願うようになって、

彼女の中に渦巻く対立が解消されるその時には、腋も自然にファンに見せてくれるようになるのだろう。

伊達さゆりさんとマネージャーの一線を越えた関係について

その異変は『伊達さゆりの伊達にラジオやってません!!!』第33回で観測された。

https://youtube.com/watch?v=LucRP_KdkmY

 

この回で伊達さんが興奮気味に語るマネージャーとのエピソードを聴いて、

多くのファンが二人が仕事上の付き合いよりも深い関係にあると認識したはずである。

しかし筆者は、二人が余人が立ち入ることが出来ない親友以上の関係だと疑っているのだ。

それを証明するべく彼女の発言を辿っていく。

 

マネージャーさんに、「そう言えば近くに遊園地があるから行こうよ」と誘って頂きましてワクワクで行って来ちゃいました〜。

プライベートで遊園地に誘える仲で、デートをリードしたのはマネージャーである。

 

絶叫系のアトラクションに乗ってきて騒いできちゃって、

マネージャーさんに隣でしがみついてギャ〜って言ってきちゃったんですけど

隣同士で座って身体を密着させるくらい、二人が許せる肉体的な距離は近い。

 

遊園地で撮れば良かったですね。失敗しましたね。

私、マネージャーさんとのツーショットしか撮ってない。

遊園地に行ったのに夢中になって撮ったのはマネージャーとの写真だけである。

 

普段ね、東京に出てきて一人で住んで子供さん、ちっちゃいお子様と触れ合うって機会があまり本当に無くて、

それがもう本当に私は感動してしまって、自分がよく親に連れて行って貰ってたなってもう泣きそうになっちゃって

マネージャーさんに言ってしまいました。

「なんか感動しますね。思い出しますね。」

しみじみって感じで。

遊園地で見かけた子供に触発されて湧き上がった子供時代の感動を共有までしてしまう関係の深さである。

 

次はSNSに上げられたカフェデートの写真から読み解く。


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伊達さんの表情は喜びより、既に"デキている"自信を伺わせるものだ。

そしてマネージャーの顔を隠しているのはハートマークだ。

何故ハートなのか、それは意味深で理由を問うのは野暮だろう。


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普通に捉えればファンに向けたハートのポーズだ。

しかしその写真を撮っているマネージャーに向けた愛情のサインとも受け取れる。

実はこれらが「匂わせ」だったとしても、それが判明するのは先の話だ。

そして存在が確認出来ないからこそ重要なのだが、おそらくはこの場で

伊達さんの方からマネージャーを撮った写真があるはずなのだ。

その写真と思い出は二人のスマホの画像フォルダと記憶の中だけにある。

他人にとっては想像で補うことしか出来ないから尊いと言えよう。

 

そして極め付けは、最近公開されたラジオ『種田梨沙と伊達さゆりのアニラジアワード・グランプリ』で、

伊達さんがラジオ賞受賞を伝えに来てくれたマネージャーに惚気けている様子だ。

私のマネージャーさんが凄いかわいい方なんですけど、チョコチョコチョコ〜って私の方に小走りで来て下さって。

かわいいんですよー。

「受賞したよ〜」ってハートマークが付くような感じで教えて頂いて、

一番マネージャーさんが可愛かったです。

禁断の仲を疑われないように、逆に伊達さんは隠すことをせず

堂々と好意を表すことを選んだようにも思えなくもないのである。

 

これらの証明で筆者は二人の関係は特別であることを確定したいのだが、

三者を納得させるには程遠いのかもしれない。

一線を越えたのは二人なのか、筆者の妄想なのだろうか。

しかし筆者はこれ以上必死に立証することはしない。

真相は分かるはずもなく、分かったとしても落胆する事実があるかもしれないからだ。

だとしたら追及は曖昧に留めて、信じたいと思う真実を信じるのみである。

 

伊達さんの立場ともなれば、関わりを持つ人間は一般人より比べものにならないくらい多い。

伊達さんの人間形成は彼女一人でなせるものではなく、彼らが多く寄与している。

彼らの中で精神的な支えの筆頭としてマネージャーがいて、

個人イベントが開かれる際は伊達さんの一番近くで

温かい眼差しで見守っている姿を目にすることが出来るだろう。

伊達さんが時折明らかにしてくれる周囲との関係性を堪能しつつ、

彼女と最愛のマネージャーの二人三脚で作られていく『伊達さゆり』を楽しんでいきたい。

エゴサがやめられない矢野妃菜喜さんへの公開説教

先日とある配信番組で矢野妃菜喜さんの口からファンを驚かせるような衝撃的な発言が飛び出した。

 

【#アリルズお披露目配信】15人デビュー記念!2日連続長時間配信!オリ曲初披露!Part1
https://youtube.com/watch?v=FHh-Th_oFlo

2:00:00〜
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エゴサだけはやめられません。実はね、ずっとしてます。

癖なの。気付いたらしてる。

意外と言ってなかった。

そうなの、エゴサめっちゃしてます。

 

この発言によって、筆者がこれまで抱いていた矢野さんと彼女が演じる高咲侑のイメージが崩れてしまった。

彼女がネットで自分の評判を探し求めているタイプだとは思っておらず、

この暴露で彼女の実像の再構成を迫られたことにも少し憤りも覚えた。

しかし現在の代表作である虹ヶ咲で培われたイメージからの束縛を

彼女もファンも破らないといけない時がやがて来るはずで、

その時がやって来つつあるということだ。

 

ただ彼女が既成のイメージを変えるとしても、エゴサの弊害だけは説かなくてはならない。

アニガサキで一番人気のキャラを務め、そしてウマ娘3期では主演が決定し

それを上手く乗り越えられれば更なる高みも望める位置に今年の矢野さんはいる。

前途ある彼女を思えばこそ自らを脅かす行いをしていることに

筆者も厳しい態度で臨むべきなのだろう。

 

それではエゴサの弊害を説明していく。

初めに、SNSにおいてはポジティブな投稿さえも信用できないということだ。

SNSでは投稿者間に相互監視が働いていて迂闊にネガティブな意見が言えない空間である。

そこを精査せずに受け取ると勘違いが起きてしまう。

本音かどうか見極めるのも難しく、もし投稿と違う本音に気付いてしまったら

それはそれで苦しい思いをするはずである。

 

次にネガティブな投稿が一番の問題である。

矢野さんはジュニアアイドル時代から数えると芸歴は長く

その間にネットはもちろん現実でも厄介なアンチに絡まれたことはあるだろう。

それでも大事件にならず今日まで過ごしたことで、彼女なりの自信と侮りを育ててしまった可能性がある。

しかし声優アンチの悪意がアイドルオタクに劣る保証など何処にもない。

ラブライブのファンにとっては彼女は大きな存在だが、裾野の広い一般アニメにおける知名度は無いに等しく

手強いアンチは未だ登場していないだけなのだ。

これから現れるであろう彼らがどの角度でどれほどの鋭さで

急所を突いて来るのかは予見出来るものではない。

バリアとして機能している関係者や法律の存在を飛び越えて

自らノーガードで攻撃を受けに行くエゴサの危険性の再認識が必要だ。

致命傷を負って彼女の声優人生が危機を迎えたり、我々への対応が冷たいものになることを

ファンの誰もが望んではいない。

どの道大抵の人間は嫌気が差してエゴサは止める運命で、

だったら最初から行わない方針を取るのが賢明というものだ。

言葉で理解出来るか、経験でようやく理解するのか、彼女の聡明さが問われている。

「3話切り」をめぐる後悔

一旦観始めたアニメは3話まで視聴してその後の視聴継続の可否を判断する、

これが通称3話切りと呼ばれるアニメオタクの視聴スタイルである。

それまでノーマークだった作品が3話で大化けし当期の覇権どころか

アニメの歴史に残る程のヒット作になった影響で、アニメオタクに根付いた習慣である。

 

しかし3話切りを乗り越えるような作品は多くない。

1話で魅力を感じない作品は最後まで詰まらない。

なぜ1話で視聴放棄しても良いものを3話まで猶予しているのかというと、

3話以前に観なくなった作品が実は名作だったことを後から知ったトラウマのせいだ。

その時視聴を止めた決断は、作品の真価を見抜けなかったオタクとしての敗北の烙印を自らに植え付けた。

その烙印の刻みは深く、判断を保留して最終話までクソアニメを完走するのがマシなくらいである。

一般的に「しない後悔よりする後悔」などと言われるが、

その積極的な判断こそ今尚オタクを実り少ない3話切りの呪縛に捕らえているのだ。

楠木ともりさんへの黒い感情が抑えられない

快だけを享受することは許されない声優オタクの業を筆者は知った。

 

今期は楠木ともりさんの出演するアニメやラジオが多い。

そこで彼女の声を聴くと何故か興醒めして楽しめなくなってしまった。

しかし理由は分かっている。

全ての発端は、彼女の虹ヶ咲の優木せつ菜役の降板である。

アニメも2期が終わり後はOVAを残すのみで虹ヶ咲に関しては

アニメしか関心が無い筆者にとっては下火になっていくコンテンツでしかなく、

彼女の降板という事実に真正面に向き合う機会を失っていた。

そのツケを払わされるような形で他作品で活躍する彼女に対して、

筆者は面白くない気持ちを抱いている。

 

作品を横断する形で声優を応援するのが声優オタクだとしたら、

今回はそれがマイナスの働きになって筆者に作用したのだと言える。

虹ヶ咲を置き去りにしたように見える彼女への不信感、言葉にするとそれが筆者の心情なのだろう。

もちろん彼女には全く責任は無く、去就をめぐって一番苦悩したのは楠木さん本人なのは言うまでもないが、

それでもキャラクターと中の人の一致を信条とする声優オタクには

キャスト交代の精神的ダメージが大きかった。

 

他の作品の声優の動向を、しかもネガティブに引き摺ってアニメに夢中になれないというのは

オタクとしては望ましいことではない。

天災と同じように時間の経過によって乗り越えられる試練と信じるしかない。

答えの出せない問題を前に立ちすくんだままだが、

未来の自分に審判委ねるべく今の気持ちをここに記すことにした。

山根綺さんのここがダメだと思ったところ

1.自分が置かれた場所の理解が足りない

これは彼女が富田美憂さんとパーソナリティを務めている『ややとみの』第1回の場面である。

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番組スタッフはこれを見てモヤモヤしたかもしれない。

筆者も一瞬彼女の仕事への真摯さに疑念をもったほどである。

なぜなら彼女の足が見えないからである。

椅子の上で胡座をかいていたからなのだが、後に彼女が釈明していたが

いくらリラックスした感じで番組をお届けしたいと言っても、

受け取る人によっては度し難い振る舞いと捉えられかねない。

アイドルコンテンツに長く関わり自分のコンテンツを既に持っている声優が、

一般アニメの場に露出した時に共通して見られる現象である。

これまで許されていたノリが通じない場所もあると言うことを彼女に教訓としてもらいたい。

 

2.あやしい交友関係がある

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ひろゆきと言えば毀誉褒貶が激しい著名人である。

彼女は言うまでもなく、事務所も随分危険な橋を渡らせたものである。

動画番組では氏から誕生日メッセージも贈られたようで、互いに親交を深めようとしていく様に

現在進行形でスキャンダルを生み出す人物と絡むリスクの高さを感じさせられた。

 

3.言葉の扱いが軽い

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オタクは声優のネガティブな側面を好む傾向があるが、それはコミュ障やぼっちみたいな

笑ってイジられる程度のものまでである。

精神医学の用語まで出されてマイナスアピールされると、

流石にオタクもドン引きしてしまう。

しかも自分でそう思っただけで医者に正式に認定されたわけでもないので

彼女の言葉の扱いには残念な気持ちになった。

 

4.他人の言葉を消化せずに発信している

彼女のWebエッセイ『山根綺のほんとのところ。』を読んでいると、

度々聞いたことがある他の有名人の言葉や考え方がそのまま出てくる。

人に影響を受けるのは成長していく上で当然なのだが、

未消化のまま自らの言葉として発信するとなると話は別だ。

まだまだ内面に確立された彼女の自己は小さくて、

大きな存在の他人に呑まれてしまうのかもしれない。

ファンとしても感銘を受けた彼女の言葉が、実は他人の受け売りだったと興醒めさせられることもあるだろう。

こればかりは彼女が他者を受け止められるまで精神が成熟するのを待つしかない。

 

学業に躓いてそれを取り戻すべく適齢期を逃した学習が見せるちぐはぐさが

以上の欠点に現れているように思える。

不謹慎ながら筆者は、社会の階段を登り着実に大人になった常識人に対立して

欠陥を学習で必死に補う劣等者として彼女を見ている。

傍から見て楽しんではいるが、本人としては向上心と改善が求められる深刻な状況なのである。

※下書き 山根綺プチ解体新書

山根綺のほんとのところ。
https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=15097

 

努力と結果、それが山根綺さんのトラウマであり、進路を定める確固たる行動原理であり

現在も彼女が抱え続ける人生の課題である。

 

高校に入学して間もなく受けた学力テストで彼女は直面する。

私は生まれて15年目の春、初めて挫折をしました。

そしてその次の日から、勉強が出来なくなりました。

理由はシンプルです。

誰のために勉強したら良いのか分からなくなって

自分のために努力をしたことがなかった私は

努力しないと越えられない壁にぶち当たりました。(『山根綺のほんとのところ。』#3)

なまじ初期値が高い人間がいずれは経験する他人への敗北と自信の喪失。

そうして精神的に荒れ狂った彼女は学業を放棄し、最終的には引きこもり状態になってしまう。

しかし絶望の中で声優という職業に希望を見出す。

足りない才能は努力で補わなければならない。

そうしないと夢は叶わない。

欲しいものは手に入らない。

その現実を自分で思い知っただけなのです。(『山根綺のほんとのところ。』#3)

ありのままの自分では敵わないことを悟った彼女は声優になるために努力することで、人生を好転させていく。

 

ここで注目すべき点がある。

良い子にしていれば、勉強や運動が出来れば、

母や、学校の先生や、大好きな塾の先生が褒めてくれる。

良い成績を取ったら嬉しそうにしてくれる。喜んでくれる。

そんな大人からの評価に、少しずつ依存していくようになりました。(『山根綺のほんとのところ。』#3)

挫折する前の彼女は、周囲の期待に沿うような「他人のための自分」を演技していたのだ。

専門学校で初めてお芝居をやって

自分でいなくてもいい時間が生まれた瞬間に

心が、すごくすごく楽になりました。

「あぁ、これをずっと続けていたら苦しくないかもしれない」(『山根綺のほんとのところ。』#3)

翻って、声優も「自分ではないキャラクター」を演じる点では同じように見える。

単に乗り換える先が違っただけで自分を置いて演技することには変わらない、そう短絡出来なくもない。

しかし彼女が声優に特別の救いを感じた言葉が続く。

お芝居は自由です。

自己表現することの可能性は、無限大です。

たとえ自分の才能に限界を感じて苦しくなったとしても

表現することを好きでいられたら、

またきっと、私を救ってくれる気がするのです。(『山根綺のほんとのところ。』#3)

まず定められたキャラクター像があって、その目標に向かって一致するように

生身の自分の上に積層していく努力の過程に、自己と自由を感じているのだと考えられる。

だとしたら彼女にとって声優は、仮面ではなく塑像のように

自己を芯にした延長線上の存在と言えるのかもしれない。

 

そのように努力を手段に自己肯定感を高めた彼女を象徴する数々の言葉がある。

まわりみち、それもちゃんと道。

この世に正解なんてなくて、正しい道も無い。

だから、選んだ道を正解にする。(『山根綺のほんとのところ。』#2)

選んだ道を正解に「する」、これはあまりにも意思が強い宣言である。

多くの一般人は、結果的に選んだ道が正解になったとしか語れないはずだ。

努力は普通に裏切る。

でもきっと、そこで見つけたもの全てに

無駄なものなんてない。(『山根綺のほんとのところ。』#9)

他人が判断する結果は報われなくても、自分には報いるということだ。

向き不向きって他人が決めることじゃなくて、

自分の意識が向いているか向いていないかでしかない(『山根綺のほんとのところ。』#9)

適性でさえ努力で乗り越えてみせるという自負さえある。

ここまで来ると、彼女の努力への思いは信仰に近い。

努力で打開できる限りは、ファンも安心して彼女を応援出来るだろう。

 

しかしやがては彼女も障害にぶつかるはずだ。

人生の8割は思い通りにいかない
この言葉は私の母が言っていたものです。

きっと、たくさん苦労してきたから

導き出された結論なのですが

そう思うと楽になるよっていう

処世術という意味もあるような気がして。

“まあいっか精神”

山根のようなタイプの人間は

一番持つことが難しいこの気持ち。(『山根綺のほんとのところ。』#12)

自分と他人、あるいは世界と折り合いを付ける決断の時は必ず来る。

努力の末の真の自分の限界、自分ではどうにもならない運命、運が人の器にたくさんの才能を与えた天才との競争。

そのどれもが努力を手にした彼女を再度挫折させる原因にもなりかねないものだ。

それらに妥協するというのは主体性を失うのと同義で、彼女は決して受け入れられないだろう。

ファンも試練に対して安易な処世術で乗り切ろうとする彼女を見たくないはずだ。

解決には努力を尽くした者が行き着く境地でもってするしかない。

彼女のもう一段階の成長はそこにあって、それを間近に感じられるのが声優オタクの醍醐味というものだろう。

山根綺さんの覚悟の話

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山根綺さんは、過去にデメキンの渾名が付けられたほどの

大きく見開いた目が印象的な新人女性声優である。

今回は『山根綺のゆるっと綺譚』第18回の前半パートで披露されたトークを紹介したい。

声優志望のファンからのお便りに答える形で語られた彼女の「覚悟」である。

 

この仕事は難しい。この難しさっていうのは何かと言うと、自分で決められることが少ないんですよ。

演者って自分で決断することがあまり出来ないっていうか、基本的にはもう決めてもらう側なんですよ全部が。

彼女は安易に歓迎する言葉を発さない。

語るのは、お膳立てされた、悪く言えば不自由で縛られることを宿命付けられた声優の本質だ。

それは台本や音響監督のディレクションへの服従から始まり、

オーディションや仕事を好きに選べない事務所所属の声優の立場にまで亘る。

 

何かあった時とかマネージャーさんとか他の方に責任を取ってもらうしかないし、

本当に自分で自分の舵が取れないんですよ、この役者の仕事って。

具体的では無いので筆者の推測でしかないが、声優の芸能人としての側面が関係していて

保護されている代わりに演者はパフォーマンスの結果に干渉出来ず、責任が取れないということかもしれない。

 

だけどそこをちゃんと理解した上で、"上手く行かないのが当たり前"、"自分がやりたいことが出来ないのが当たり前"っていう日々を

覚悟できるのであれば目指していいと思います。

演じることが他者の支配の下にあっても自分なりに意義を見出すことかもしれないし、

敢えて不自由さの中で自由を見つけていくことかもしれない。

声優志望者へ忠告していることは、彼女が向き合っている現状なのは言うまでもない。

ではどう向き合っているのか、そこまでの言及は無かったが

堂々と語る彼女に不満や諦めなどはあるはずもなく、

声優という職業に積極的な意義を日々模索しているのだろう。

 

私は海に例えるんですけど、声優という職業って、自分がボートに乗っててゴールが見えないんですよ。

だけどずっと漕ぎ続けなきゃいけないの。

で、運が良い人とかたまたま何か見つけられる人が岸に辿り着くことが出来るわけなんですけど、

「元々羅針盤持ってます」、「コンパス持っちゃってんだよね」とか、

永遠に漕ぎ続けられる怪力を持ってる人が偶にいるんですよ。

そういう人は、何も持ってない人(自分)に比べて辿り着きやすいじゃん岸に。

そういう人でも海には潮の流れがあって、こっちに潮が流れてたら

どんだけ漕いだって前には進めないじゃん。

そういう世界だと思って下さい。

次に、彼女は声優としての成功を左右する運を語っている。

そもそも自分が成功するような明確な道筋が見えるものではなくて、

声優業界で勝ち抜くための適性や武器にも個人差があって、

それらを持ち合わせた天才にさえ勝利の道を閉ざすこともある運である。

その作用は、彼女に声優業界が努力や才能が必ずしも報われる場所ではないと冷徹な認識をさせている。

彼女はまだ新人なので期待より不安は大きいはずだ。

しかし何もかも確定させられた宿命を持つ声優だからこそ、

不確定な運命に挑むことを彼女は楽しんでいるようにも思えたのだ。

志望者に求める覚悟は、彼女がそれを胸に世界に対峙してる覚悟であり、

この先も彼女は声優の本質に挑むことに足掻き、運命にも足掻き続けるだろう。

その道のりをファンが感動し、彼女が納得出来るようなものになればと祈っている。

アニメ映画監督を持ち上げる世間が滑稽すぎる

なぜ世間がアニメ映画の監督を権威化するのか全く分からない。

その風潮を多くのTVアニメのファンが冷ややかに見ていることだろう。

しかしアニメ映画を「芸術」と捉えると納得出来るのである。

 

作品と監督の登場は数年おきで、従来のアニメファンにとって存在感は無いに等しい。

しかし世間は露出の少ない監督を巨匠として崇め、

まるでオリンピックのような重大行事のように映画の公開を待つのだ。

TVアニメみたいに毎週放送されるのでは有り難みもないのだろう。

 

製作期間の長さも全く芸術向きで、年単位なら当然TVアニメよりクオリティは高い。

期間の長さは質を保証するらしい。

作画は間違いなくそうだろうが、内容は高尚に見えて所詮は大衆向けなので物足りない。

興行収入を考慮せざるを得ないことから芸術から外れてしまうのは皮肉ではある。

ガワは芸術を装い中身は世俗向けという自己矛盾をしているのがアニメ映画だ。

 

一旦巨匠が確立されれば、定期的に待ち侘びさせるのが世間にとって効果的だと言うことかもしれない。

正妻与奪の件

男性声優の不倫騒動が続いているが、今回の件は女性ファンの不寛容さが一役買っている。

当該声優の長期にわたる不倫が可能だったのは、既婚だと周囲に知られていなかったのが原因である。

結婚を発表しないのはアイドル人気に配慮しているからだ。

 

ここで男性声優に独身でいることを求めてしまう女性ファンに関して考えざるをえない。

誰かのものにもならないことを望み、あわよくば自分のものになるかもしれないと考える傲慢さ。

実在の本人よりそれから生まれた虚像を崇める軽薄さ。

本人より自分の都合と幸せを優先する狭小さ。

女性の声優オタクもその愚かしさでは男性に引けを取らないようだ。

 

彼を巡っては不倫相手も女性ファンも共に正妻面をしていたわけだが、

真相が明らかになると醜悪なドラマを演じていたことを悟るのだ。

 

女性ファンも長い時間の中で彼の曖昧さを許すことで理想的な心の決着を望んでいたかもしれないが、

曖昧であることの歪みはいつか出るもので今回はそれが利用されてしまった。

唯一の解決法は男性声優の結婚を認め受け入れるしかない。

正妻の権利は正妻ただ一人に属し、決して他人が握ることは出来ない。

全て公然でありさえすれば、それは当たり前になるのである。